ソニーからSFまで
閑話だけ。
帰宅して、飯食って、筋トレして、靴磨いて、風呂入って、酒を飲む毎日。
ユルイなりに規則正しい。
今日はこれを呑み中。
が、特に酒の話題と言うわけでもありません。というか、話題なんて無く、当初からのだらだらスタイルで迷走します。
といいつつ、この酒。きちんと火入れして、かつ山廃なんで結構癖があるというか、酒酒してていいですね。
酒器も新入手のさかな冷茶器。片口も初使用かな。
そういや以前にソニーのSDカードの件で文句を書きましたが、考えてみると、ソニーって会社がちょっと傾くと、変なことをやりだすんだったなと。
10年以上前だと思いますが、クオリアなんてシリーズを出してましたね。あの時も確か会社的に色々あったはず。
ただ、クオリアのときは、後のシリーズにも適用できるような技術を詰め込んで、アホみたいな価格で出したんで、ある意味意義があり、笑いも取れたんですけどね。
今回もどうせならアレくらいぶっ飛ばせば良かったのに。
で、クオリアといえば、唐突に読書の話になりますが、紫色のクオリアという本がありましたね。
カテゴリ的にはラノベになるのでしょうが、そんなのどうでもよく、特に前半部分の話が面白かったなという記憶が。
クオリアって、あまりにも漠とした解釈の問題で、かつ茂木というどうにも胡散臭いというか、研究とイデオロギーは分けろよというお方が広めたお陰で、どうにもアレな感じなんですが、お話としては面白い。
私が見ているものと、あなたが見ているものは同じなのか。何故同じ感覚を得るのか。何を見て、その性質を見ているのかなんて、子供の頃考えたものです。(そんなにまとまった考えではないけど)
私的にはデネット的な考え方を支持するのですが、物語となると、別にそれに制限されなくても面白ければ良いという考え。
そういう意味で、紫色のクオリアの前半部分は、認識の違いが物理的な変化までもたらすってことで視点が面白い、かつそれがライトに書かれているというというのが読んでいて楽しい一章でした。(後半はちょっとありがちな量子力学解釈ですが。)
で、これを読んで、思い出していたのは、グレッグイーガンの万物理論。
別にクオリアの話ではないのですが、そもそも存在する性質、在り方を理論として認識できてしまったときに何が起こるか。と言う意味で論旨的につながりを見つけることが出来るかなと。
ま、書きっぷりは全く違うし、万物理論とクオリアに関連は無いけど、なんか、真面目な話を如何にSFとして面白くするかという意味で連想してしましました。
片方は、SFマニアから評価は受けたものの所詮ラノベ、もう片方はまさにハードSFの旗手ということで、同一に語られることは少ないかも知れませんが、所詮とかそういう文言なしに、読書は楽しみたいっすね。
と、ソニーから読書のお話でした。
そういや、ソローキンの新作も出たようだし、しばらく楽しめそう。
ここまでで、2合注入。
ではでは。
あ、今回からタイトルとサブタイは本文を書いてから考えることにしました。