もやっとする日本語
違和感
最近のJRの電車内広告で何か違和感を感じるなと思うものがあるのです。
言葉の使い方なのですが、こちら。
急いでいる時ほど、チャージで並ぶ時間はない。
Apple pay/suicaの広告。なんかもやっとするのです。原因はほどという語尾。
読点を挟んで、前と後の文章をほどで結んでますが、ほどは特別にとか強調するときに使う語尾という認識からすると、強調する意味はあるのでしょうか。
急いでるときには、並ぶ時間は無いってのは当たり前のことだよねと。
言い換えて、ちょっと語尾を変えると。
急いでいる時には、チャージで並ぶ時間はない。
という、当たり前の文章になります。
敢えてほどを使うとすれば。
急いでいる時ほど、チャージの列が混んでいる。
ってのであれば、あるある話として分かるのですが、そういう意図では無いのでしょう。
重箱の隅をつつくような話ですが、気になるのです。
まぁ、私も酔っぱらった文章ばかり書いているので、人の文章をつつく素養などないのですが、一応文章には気を使っています。小学生レベルで。
同じ接続詞を連続して使わないとか、体言止めを使いすぎないとかそんなレベルですが。
そんな中でも一番気にするのは「ね」の使い方です。
これを語尾に使うと、同意を強要するような文章になるのです。
そういう文章は嫌ですよね←こういう使い方。
てことで、気になる日本語のお話しでした。
ではでは