RYEMASHの日記

がんがん使って、しっかりお手入れ

自然、特許、アナロジー その3

理屈っぽいのはこれで終わり。かな?

さて、勝手に始めた理屈っぽいシリーズですが、普段頭で考えていることを文章にすると、結構鬱陶しいことに気づきました。ただ、途中でやめるのもなんなので、一応最後まで続けます。

今日は最後のアナロジーです。

実はこれが一番言葉にするのが難しく、また、以前に書いた自然や特許もこれに還元される話題です。

日本語にすると、比喩や類推って事ですが、簡単に例えという意味で使います。

これに関しては、これまでの生活で大きく2回思考してますので、その順序で書いてみます。

まず1回目。

就職したての頃ですが、色々な技術に関する教育を受けたりしていたのですが、その中の講師さんの一人にたとえ話を多用する方がおりました。例えば、IP Networkを高速道路に例えたりと。この例えは今でも、解説本とかでよく見ますね。

この様な例えは、初心者には非常に分かりやすく、有用ではあるのですが、ある程度知識、経験を積み、IP Networkそのものに対しての考察が必要になった場合、高速道路の例えは、かえって邪魔になるなと考えた訳です。

確かに挙動は似ていても本質の部分は違う。そして、今必要なのはその本質に関わる部分であり、そこを知らなければ、先には進めなくなるということです。

ただし、高速道路との違いを考えるというような思考を行えば、有用ではありますが、例えにこだわりすぎると、本質をはずれ、思考が固定されてしまうという危険性があるかなと。なので、新人さんに何かを教える場合も、ある程度理解したならば、一端例えは忘れてみろと言っています。これが正しいかどうかは分かりませんけどね。

2回目は何時と言うより、いつも考えていることですが、先に例を出しましょう(何というSelf reference)。

私はレザークラフトを趣味にしていますが、革の説明で、よく”革は生きている、だから栄養が必要だ”なんて話を聴きます。確かに革は生物と同じように日焼けしますし、オイル成分も必要になります。じゃあ、同じかと言うと、その仕組みは全く違います。

まず、ひどい言い方をすると、革は死んだ動物のものです。なので、生物と同じ、代謝等の反応はおきません。革のたんぱく質もなめしによって変性されているので、生体のそれとは違います。じゃないと直ぐに腐りますわな。

革の日焼けは、なめしの際に使用されるタンニンが紫外線等によって変化し、変色しているだけです。生物のメラニン色素を含んだ細胞が表面に現れるのとは全く別物です。飲みかけのお茶の色が濃くなるようなものと同じです。こっちは主に酸化でしょうが。

で、栄養も、生体のように酵素等で分解され蓄積され、利用されるような代謝のメカニズムではなく、機械のグリスみたいなもんです。

呼吸しているなんて話も聞きますね。空気が乾燥したら、水分を放出し、湿度が上がれば、吸湿すると。でも、これを呼吸と呼ぶなら、洗濯物も呼吸してることになりますよ。この説明は木造建築の家の説明でも聞きますが、あたりまえすぎです。

さあ、長くなってまいりました。もうここまで読まれている方は、ほとんどいらっしゃらないでしょう。でも進めます。

んで、それを知って上でも、別にいいんじゃないのという話にもなるのですが、問題は例えられた側の方で話を進めて、それを元のものに戻すと言う点です。

革は生体反応と似た挙動をする→革は生きている→生き物の話を延々とする→生き物に使用するような成分や製品の話をする→それを革にも適用する。と言う流れです。

こうすると、生き物に使用するような安全基準に適応しているもの、総じて高価なものが必要だと思わせて、それを率直に言って死体である革にも使わせるという流れです。

しかも、大抵この説明は科学的にいうと意図的に省略、簡略化されてることが多いですね。そうしないと、意図がばれてしまいますから。

まぁ、分かった上で、こういう論理を使っているならまだましで、本当に信じてこの論理を使われると、反論する気にもなりません。あーあって感じです。

どうせだから、まだまだ、長いですよ。

もう一つ、例を出すと、ガイア理論なんてのもありますね。これは地球環境を考える上で、地質学的な面だけでは無く、生物の影響も考慮する必要があるという、至極まっとうな理論なんですが、提唱者の一人である、リン・マーギュリス(昔懐かしい、コスモスを書いたカールセーガンの元嫁さん)はその著書の中でこの名称に最後まで反論したと書いてます。宗教を想起させる名称を付けてしまうと、擬似科学に利用されることを危惧したんですね。で、結果はその通りになってしまいました。

そろそろ、論旨が見えなくなってきましたので纏めます。

何かを例えるのは、初期理解を進める上では有用ですが、本質から目をそらせてしまうという弊害を理解しておかないとならないということです。

これは、自然も特許も同じ論旨ですので、当然程度問題です。

ってな訳で、理屈シリーズ。ただの店選び基準なんですが、ずいぶん面倒な話になりました。

この三題噺を私がどう考えてるかは、いつか後記で書ければなと考えております。

うーん。飲み屋でこんな話につき合わされてる、バーテンさん、他のお客さんすいません。今回の文で、自分の鬱陶しさを理解しましたよ。でも変わりませんよ。

ではでは