これが色収差というものか
ものなのか?
さあ、新しいレンズを手に入れるとしばらく浮かれた時間が続きます。
先日の水路写真で盛大にパープルが出ていましたが、その辺りを探ってみました。
探ってみたと言いますか、たまたま今日の酒を撮影していて、なるほどねぇと癖をつかんだお話です。
この3枚をご覧ください。
先ほども上げた写真を切り出したものですが、これは、少し向こう側にピントをずらしたもの。言い換えると手前の光を拾ったモノ。
中心当たりの明るいとこを見て頂くと、少しパープルになってます。
次はピンを合わせたモノ。
パープルと緑が合わさって、白く見えます。
最後はこちら側にピンをずらしたもの。こちらも言い換えると遠く側の光を拾ったモノ。
今度は青緑がかっています。
ブログにあげると、解像度が下がることもあって分り難いのですが、ピンのあったところから前後の微妙なところで、ボケだけではなく色も変わるのです。
所謂軸上色収差というものが顕著に出ているのでしょう。
特に、白色という光の三原色がしっかり含まれて、かつ強い光の時には分光された各波長の要素も強いので顕著に見えるようです。
なので、先日の水路の様に全体に明るく、かつ被写体の距離が様々な場合はパープルが見えるのですね。青緑も出ているのでしょうが、パープル程目立たないのは、人間の目の感覚の差なのかな。
こういう理由ならば、デジカメだからという訳では無く、フィルムでも同じ現象が起きるのでしょう。
で、こういう色収差を含めた様々な収差を限界まで抑えるためには、M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm F1.8のように、9群10枚という構成、かつ異常分散レンズを数枚使うという贅沢なモノが必要になるのでしょう。ちなみにこのHeliarは伝統的な3群6枚というクラシックな構成だそうです。
じゃあこういうレンズが嫌いかというと、大好きです。
何でも味という言葉で済ますのは思考停止にも似てきますが、せっかくの単焦点、MFレンズならば癖のある方が面白いと思ってしまうのです。
てことで、上手い写真が撮れないのをレンズの癖という言葉でだましつつ。
ではでは